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meets!まつら

どちらも正解です。

松浦市が「まつら」という語音を大切にしている理由。
それは、太古に遡ることになります。

 その昔、「邪馬台国」へ至る経路として、一支國(壱岐)の次に、『魏志倭人伝』に記された倭国(日本)本土で、最初に登場するクニが「末廬」なのです。
末廬という文字は、倭人(当時の日本人)の呼称に中国語の文字(漢字)を充てたもので、まだ日本に文字がなかった時代から、この地域は「まつら」と呼ばれていたのでしょう。魏志倭人伝は「末廬」について、「四千余戸あり、山海にそいて居り、草木繁茂して行くに前人を見ず、好んで漁鰒を捕らえるに、水深浅となく、皆沈没して之を取る」と紹介しています。この当時から、すでに今の松浦が目に浮かぶような光景です。
 また、古代の律令の下では、肥前国の北部、現在でいう五島列島・平戸を含む長崎県北部~佐賀県北西部の一帯が松浦郡とされ、読み方はやはり「まつらぐん」。そして中世以降、この一帯を支配した〝海の武士団〟が、かの松浦党「まつらとう」です。今でこそ文字どおり「まつうら」と呼ばれるようになったこのまちには、遥か昔から連綿と続く歴史が息づいているのです。
 だから、末廬-まつら-松浦-まつうら。私たちは、いにしえより〝日本の玄関口であった〟という史実を、この歴史の重みを、「まつら」という音に感じ、誇りにしているのです。
 「meets!まつら」は、そんなまちの魅力を伝えるためのスローガンそのもの。私たち松浦市民のアイデンティティです。松浦市が大切にしている〝まつらスピリット〟をぎゅっと凝縮し、松浦市長を先頭に市民総出で、このまちの滋味深い味わいをお伝えします。
 どうぞ、まつらとの〝出会い(meets!)〟をお楽しみください。

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